lumière de étoiles

 俺のこと好き? そう言いかけて口を噤んだのはこれで何回目だろう。俺の上に乗っかって腰を揺さぶっている金髪を眺めながら、口からはひたすらに喘ぎ声が漏れている。 体を繋げるのは二ヶ月ぶりで、体は歓喜に満ちている。嬉しい。彼が俺のことを別に好きでもなんでもないってことは分かっている。それでも体を求められるのは、とても気分が良くて、押し倒されると簡単に足を開く。ミツギの息は荒くて、色の白いかんばせが少し色付いていて、興奮しているのが分かる。 こんな俺に欲情しているのが嬉しくて、俺の体も悦ぶ。心が満ちていく。幸せだなって感じる。例え性欲処理でしかなくたって、彼に求められるのはいつだって幸せで、愛されているような錯覚がして。
「あっ、あっ、んぅ、み、つぎ……! イク……」
「は……、う、はあ……くっ」
俺の中が震えて、胎の奥でコンドーム越しに生温かい何かを感じる。ミツギも達したらしい。何発も出ないミツギは一回達しただけで終わる。疲れ切ったらしい彼は狭いシングルベッドの端に寝転がった。俺はその様子を眺めて、ベッドに散らばった彼の長い髪を横目に心の中で呟く。
(好きだよ、ミツギ)
これは俺だけの秘密。この想いだけはミツギにも明かせない。
 島を脱出した俺とミツギは連絡先を交換して、別れた。その後何ヶ月かしてから初めて連絡が来た。
「お前ん家の住所教えろ」
まさか連絡が来るなんて思わなかったけれど、否やとは言わずに素直に教えて何日かした後、バイトから帰ったら、アパート前にミツギがヤンキー座りして、俺の帰りを待ってた。
「来るなら言えよ」
「急遽定時上がりになったんだよ。待ってちゃ悪いか」
「別にいいけど」
ミツギによれば、島を脱出した後、仕事がゴタゴタして類を見ないほど忙しかったらしい。だから連絡が遅れたと。島を脱出したら、もう俺になんて興味がなくなったのかと思って、こちらから連絡をするのすら躊躇ったのに。彼は手にぶら下げてたビニール袋を押し付けてきた。 ビールが入っている。俺にまるで気を遣わないミツギが気を遣ってくれたらしい。ありがとう、と言って受け取って、夕飯を一緒に食べる。俺の作った飯をミツギが食べてるのが物珍しくて、じっと見てたらガンを飛ばされたので、目を逸らす。 夕飯を食べ終わった後、貰ったビールを飲みながら、近況を話した。ミツギは今日はたまたま定時に業務終了しただけで、また忙しくなること、それからたまに会いに来ると言った。
(また、会える……?)
アヅマはその言葉に一瞬で浮かれた。また会える。日常に戻って、また何のために生きているのか分からない生活に戻って、せっかく生き延びても何の希望もない日々に、一条の光が差した。神様なんて居るわけないのに、感謝した。それからのアヅマにとって、ミツギとのたまの逢瀬が全てになった。
彼に会えるのは一ヶ月か二ヶ月たまに三ヶ月に一度。ふらりとミツギはアパートに現れる。必ずビールを携えて。気を遣わなくてもいいのに、何故か必ず持ってくる。 SNSには、「今日行く」としかメッセージを寄越さない。何時に来るのかはいつも教えてくれなくて、俺のバイト中にアパートに来て、帰ってしまったらどうしようと不安になる。無事に会えたら、それだけで嬉しくて、飯時だったら一緒に飯を食べようと誘う。 食べたら、土産のビールを飲んでセックスするというのがいつの間にか、お決まりになっていた。島で散々したセックスは相変わらず体の相性が良いのか最高で、身も世もなく乱れてしまう。終わったら交代でシャワーを浴びて、シングルベッドで二人で寝る。朝起きるといつもミツギは居なくて、残り香だけがベッドにはあった。
 日々を重ねて、ミツギは大概夕方か夜中に現れるというのが分かってきた。以前は聞いてこなかった俺の都合も聞くようになって、結構会えるようになった。会える日にはソワソワして落ち着かなくて、早く会えないかなってドキドキしたりして。夕方や夜中に小さくノックの音が聞こえると、一刻も早くドアを開けなければと焦ってしまう。 柄にもなく緊張して、それでも何でもない振りをしてドアを開けて、彼を迎え入れる。それが俺たちの逢瀬だった。体をいくら重ねてもミツギが何を考えているか分からない。いや、本当は分かりきっている。何で会いに来るのか。それは性欲が薄いと言っていた彼でも溜まる、性欲を処理するためだ。 島でたまたまセックスして、相性が良くて、その快楽が忘れられなくて俺で処理してるだけ。そう結論づけた。恋人ならもっと違うだろ? もっと扱いは違うはずだ。たまに会ってセックスして、起きたらもうベッドには居なくて、微かな残り香しか彼が居た形跡を残さない。だから俺たちはたまに会うセックスフレンドなんだって分かった。 僅かに残る白檀の香りを吸って、彼の名残を追い求めてしまう。何故なら俺はミツギが好きだったから。でもミツギにその気がないなら、俺はそういう関係は求めない。高望みしてもいいことはない。俺と彼は元々は住む世界が違う人間。だから求めない。たまに会いに来て、抱いてくれるだけで、幸せだから。これ以上は望まないから、だからどうか--。

 俺は約束したホテルまで電車を使って向かう。約束したのは、五十代のおじさん。たまたま歓楽街をフラフラしてて、声をかけられてからこの関係は始まった。ホテルですることは決まってる。ホテルの前まで行くと、その人はもう居て、ニコニコしながら俺の肩を抱き、中へと入る。部屋に入ると鼻息荒く、俺を引っ張って行くとベッドに押し倒した。
「あっ、あっ、イイッ、そこぉ!」
「アヅマくんはここが好きだねえ。ふぅ、ふっ、は……」
「ねえ、俺のこと好き?」
「うん、好きだよ、可愛くてエロくて、最高。ああ、もう達きそうだ……。中に出してあげるからね!」
コンドームをしているのにそんな戯言を言いながら、その人はイッた。俺も全身を痙攣させて達した。おじさんはシャワーを浴びて、脱ぎ捨てていた背広から財布を取り出し、数枚万札を抜き出すとそれをアヅマに渡した。
「今日もありがとう。よかったよ」
「こんなにいいのに」
「いいんだよ、君みたいな可愛い子がタダで抱かれるのは勿体無い」
身支度を整えたその人は出て行った。
「シャワー浴びよ」
アヅマは怠くて汗だくの体を引きずって、シャワールームへと向かった。
 俺がミツギに会って多幸感でうっとり出来るのはせいぜい三日程度だった。ミツギに求められて、劣情をぶつけられる幸せは、そうは続かない。その後はいつも地獄。幸せな気持ちを味わった分、どこまでも落ちた。 ミツギに会えなくて寂しくて寂しくて、そばに居られないことが苦しくて、そして何より俺の心は欲しがられてないということが俺を苦しめた。彼とセックスすればするほど、その事実が苦しかった。
(ミツギは俺の穴さえあればいいんだ)
愛されないことのつらさは、子供のころ散々味わったのに、またこんな目に遭う。でも両親と違って、彼はひどいことはしない。体を欲しがってくれてるのは事実だから、それさえあれば十分じゃないか。そう思い込もうとして、だんだんとアヅマは夜を彷徨うようになった。 夜の歓楽街をフラフラして、声をかけられて他人と寝る。それを繰り返した。そういう相手を探している人間にとってアヅマは魅力的だったらしい。お金を出してまで寝たいという男や女はいくらでも居た。行きずりや、繰り返すうちに出来た連絡を取って会うセックスフレンド。 初めて会った相手にもアヅマは「俺のこと好き?」と訊ねる。セックスの興奮でぐちゃぐちゃになっている相手は大体が「好きだよ」と答える。アヅマも「好きだよ、大好き」と言うのだった。その時頭の中に思い浮かべるのはいつも彼だけ。本人には言えないから、迷惑だから。 彼に言えない分、行きずりの相手やセックスフレンドに「俺のこと好き?」と答えを強請る。そうして満たされない心のうちを埋める。ミヅキ以外の誰かに貰った、セックス中の戯言で心を満たして、愛のような何かでミツギの居ない体の隙間を覆い隠した。

 その日一日中休みだったアヅマは、朝食を摂ってから電車に乗って、大きめのショッピングモールで店を冷やかす予定だった。駅からショッピングモールまでを歩いている途中、チラリと金色が目に入った気がした。気になってよく見ると、あの金髪と派手なスーツ。間違いなくミツギだった。よく見ると隣には誰か居て、遠目からでも分かる美人の女性だった。ミツギはアヅマが一度も見たことのないような笑顔を浮かべている。心臓がギュッと掴まれたような気がして、来た道を走って戻った。  駅構内のベンチに座って、過呼吸にでもなりそうな息をどうにか静めようとした。幾らか時間が経ったころ、アヅマは冷静になった。
(彼女……? いや、仕事中かもしれないし、同僚?)
そう思っても胸が痛かった。女性がミツギの隣にいることが、当たり前にお似合いに見えてしまったことが。
(美人だったなあ、あの人。ミツギと付き合ったら美男美女カップルじゃん)
「……いいなあ」
溢れたのは羨望の言葉だった。自分が女だったら、ミツギに振り向いて貰えただろうか。……いや、それもないだろう。こんな俺が女だろうが男だろうが、彼は振り向かない。ミツギの言う通りクソガキで、何も取り柄がなくて、何の価値もない俺が、ミツギに相応しいわけがない。彼が求めてくれる体があるだけ十分じゃないか。 そう思い込もうとして、失敗した。涙が滲んできたのを乱暴に拭って、スマホで適当な相手にメッセージを送った。惨めさで萎んでしまった体を、空虚な愛で体を膨らませるために。
「ああ……!! いい、そこっ、奥っ、もっと、奥まで……!!」
「アヅマくん、今日めっちゃ乱れてるね。いいよ、もっと激しくしてあげる」
男がアヅマの足を折り畳ませて覆い被さって、奥を激しく突く。
「あっ、あっ、ああんっ! きもち、いい! あっ、あっ」
「くぅ……! すげえ、締まる! ほら、ほら!」
「あ、気持ちいい、いいよお! もう、いきそうだからあ……」
「オラオラ、イケ!」
「アアッ! あ、あ、あ〜……!!」 
この虚しさはこの程度じゃ晴れない。まだ、その欲望で薄汚れた『愛』で俺をいっぱいにして欲しい。俺は男の耳元で「もっと」と囁いて、次の嵐を強請った。

 あの日ミツギを見かけてから二週間後、夜中にミツギはやってきた。嬉しいのに苦しくて、ごちゃごちゃな感情のままミツギを迎え入れた。ミツギが来ると知っていたから、ご飯は作ってあってそれをレンジで温め直してから出す。 黙々と食べるミツギを見つめながら、この前のことを思い出してしまった。隣の女性、笑顔のミヅキ。苦しくて胸を掻きむしった。
「何かあったか」
ミツギの突然の問いに、内心動揺したが平静を装った。
「別に? あ、ビール飲む? お前が持って来てくれたやつだけど」
そう言って立ち上がりかけた俺の手首をミツギの手が掴む。俺より低い体温が触れている。
「寝るぞ」
そう言って俺をベッドに放り、ジャケットを脱いだミツギが横に潜り込む。あの香りが、白檀の香りがする。
「何で? しねえの?」
「しねえ」
そう言ってミツギは寝息を立てて寝てしまった。どうして? 俺にはそれを求めてるんだろ?
(俺にはもうその価値すらないってことかな……)
もう、ないんだ。俺の唯一持ってた、ミツギにあげられるモノ。悲しくて、止めどなく涙が出て溢れてくる。これじゃあ、もう会いにきてもくれないだろう。これが最後なんだ。ポロポロ涙を溢しながら、ミツギににじり寄る。少しでも彼を感じていたいから。白檀の香りに包まれながら、思った。
(ミツギ、好きだよ、大好き)
小さな声で、ほとんど息しか出てない声で、囁いた。
「俺のこと好き?」
返事はなかった。

 それからはすべてが無だった。もうミツギは俺に会いに来てくれない。忙しい中、時間を見つけてはやって来た彼は、来ない。その証左に、ミツギからは四ヶ月も連絡がない。死にたい気分になったけど、死にたくなくて、ただただ無意味に生きてる。 バイトして、飯食べて、寝る。その繰り返し。何の価値もない俺に戻ってしまった。やっと俺にも幸せが来たと思ってたのに。ミツギに愛は求めない。ミツギには多くは欲しがらないから、会いに来て抱いてくれるだけで幸せだったのに。 好きだって言ってくれなくても、それだけで愛されてるような錯覚を起こせたのに。満たされるのは数日のことだけだとしても、それでよかった。いつか見たミツギの隣の女性。あんな風だったら、彼のそばに……。いや、結論はもうとっくに出てたじゃないか。俺が男でも女でもミツギは俺を選ばない。 彼は美しくて賢い人だから、いつか恋人も出来るだろうし、いずれは結婚もして子供も出来るだろう。
(ミツギって恋人にはどんな顔するのかな……)
優しく笑ったりするのだろうか。島でふいに見せたあの笑顔が忘れられなくて、でももう見せてくれなかったあの顔。知りもしない、居るのかも知らない彼の恋人が妬ましくて、苦しくて、つらかった。
「バイト行かねえと」
無価値な生活のために金は稼がないとならない。何もなくなってしまった俺にはそれくらいのことしか出来ない。
 バイトの休憩中、オギノが話しかけて来た。
「先輩、最近顔色あんまり良くないっすね」
「へ? え、そ、そう?」
「ちゃんと寝てますか?」
実を言うとあまり寝られていない。また悪夢を見るようになった。魘されて起きて、寝付けないことがしばしば。
ミツギがたまに現れていた時にはあまり見なかったのに。ふいにスマホが鳴る。SNSにこの間出会った金払いのよくて、そして粘着質な男から誘いのメッセージが着ていた。ああ、これで眠れる。セックスで疲れてしまえば、ぐっすり眠れるから。了承の返信を送った。
 バイトを終えて、男指定のホテルに向かう。もう男が居たので作り笑いを浮かべて、駆け寄る。男は下卑た色を隠そうともしない笑顔で、腰を抱いてくる。ああ、一瞬でも忘れさせて欲しい。あの綺麗に光る稲穂の様な色を、白檀の香りを。アヅマは男に身を任せた。
「はあ! はあ! アヅマくん、可愛いよ! もっと乱れてごらん!」
「あ〜っ! うん、いい、いい、いいよお! もっと奥まで、ちょうだい」
「欲しがりだなあ! いいよ、ここでしょ?」
男が腰を捩じ込んでくる。長さが足りないので、一番イイところまでは届かなくて、物足りないけれど、後ろの穴にモノを捩じ込まれるだけで、ヨクなる体になったので、構わない。粘膜を荒々しく擦られるだけで、よかった。肉のぶつかる音がする。ゆすられながら、ぼーっと快楽に身を任せる。 身体の悦びに浸れば忘れられる。俺にとって一番大切な--。事を終えて、二人でホテルを出る。男はまだいちゃつきたいのか、肩を抱いて、アヅマの耳にキスをする。舌が伸びて穴を舐めるけれど、セックスの熱から醒めたアヅマの体は何の反応も示さない。
「くすぐったいよ」
「今日のアヅマくんも可愛かった。またシようね」
「うん」
「おい」
歩き始めた時に、突然後ろから声がした。聞き間違えるはずがない。彼の……。振り向くと稲穂色を揺らしたミツギが立っていた。
「ミツギじゃん。どしたの、こんなとこで」
「近くで仕事があって……、違え、そういうことじゃねえ。てめえ、何やってやがる」
イラついた表情をしている。久しぶりに見た彼の顔がこんな顔だなんて、ついてない。
「なーに? アヅマくんの友達? へえ、イケメンだねえ」
アヅマの隣の男が品定めをするように、ミツギを眺めた。嫌な気分になった。俺と違って、ミツギは男に体を売るような奴じゃない。意識を俺に向けるように誘導する。
「何だよ、俺よりコイツの方に興味持っちゃった?」
「もしかして妬いてる? もちろん、アヅマくんが一番だよ」
「じゃあ、ちゃんと俺だけ見ててよ」
「ごめん、ごめん。じゃあ帰ろうか。じゃあね、アヅマくんのお友達くん」
再び歩き出そうとした俺の腕を掴まれる。掴んでいたのはミツギだった。見たこともない怒気を含んだ表情をしていて、アヅマは困惑した。何で怒ってるんだ? 何か悪いことをしただろうか。
「来い」
「えっ、あっ、おい」
「じゃあね、アヅマくん。またね」
呑気に男が別れを言う。やることをやったら後はどうでもいいらしい。
「うん、また」
そう言ったら、俺の腕を掴む握力が強まった。
「痛えんだけど」
「うるせえ」
スマホを見ながら何処かへ向かう。歩いていると大通りに出た。タクシーを止めたミツギは、アヅマを押し込んで二人で乗車する。彼はイライラした表情を隠そうともしないで、窓の外を眺めている。腕は放してくれない。
「どこ行くんだか知らねえけど、逃げねえからさ、放してくんない?」
「……」
無視された。着いたのは見たこともないマンションだった。
「もしかしてここお前のマンション?」
「……」
また無視だ。何なんだろう? 数あるドアのうちの一つの前に立ち、ガチャガチャと鍵を回しドアを開けて、入る。入ると想像を絶するほどの汚部屋だった。
「何だこりゃ……。マジかよ」
島に居た時コテージの中も酷かったけれど、この部屋はもっともっと、遥かに酷い。これで人間が暮らしていけるのだろうか。
「そこ座れ」
ローテーブルの前を指差される。素直に座った。カップ麺やゼリー飲料のゴミ、何かを書き損じたのかクシャクシャに丸められた紙を目の前にして、座った。ミツギはジャケットも脱がないで、俺の向かいに座る。
「さっきのは何だ」
「さっきの?」
「さっき一緒に居た奴だ」
何となくセックスフレンドとは言いたくなくて、誤魔化した。
「友達だけど。居酒屋で呑んでたら仲良くなったの。また今日も呑んでたんだよ」
「てめえ、今日酒呑んでねえだろ。というかあそこホテル街だぞ」
「何疑ってるか知らないけど、たまたま通りかがっただけ」
ミツギは声を低くした。
「お前たちがホテルから出てくるのを見たんだよ」
そこまで見られてるなら、言い訳出来ない。はあ、と溜息を吐いた。
「お前には何に見えたわけ?」
「売春」
売春? そんな大袈裟な。アヅマは笑い飛ばした。
「そんな大袈裟なもんじゃねえよ。たまに一緒に寝るだけのおじさんだよ? まあお金はくれるけど」
「金? やっぱりお前金に困ってそんなことしてんじゃねえのか」
「違う違う。寝たらお礼にくれるってだけで、金目当てで寝てるわけじゃねえし」
ミツギの眉間の皺が底が見えないような谷みたいに深くなった。
「じゃあ何のために寝てんだよ」
「……」
言いたくなかった。ミツギに会えなくて寂しくて、ミツギにもう必要とされなくて悲しくて、「愛」を求めてセックスの相手を夜な夜な探してるなんて。
「質問を変える。ああいう相手は他にも居んのか」
「居るけど」
「何人」
何人だろう。行きずり、何人かいや十数人の、数えたこともない数のセックスフレンド。
「分かんない」
ミツギがはあ、と大きく溜息を吐いた。額に手をやっている。頭が痛いのだろうか。
「頭痛えの?」
「誰のせいだと思ってやがる」
「え? 俺?」
目を怒りにギラつかせてミツギが俺を見る。
「てか、何がそんなに気に入らねえの? たかがセックスフレンドじゃん」
「そんなことも分かんねえのか、てめえは」
「本当何なわけ? セックスフレンドが何人増えようがお前に関係ないだろ?」
「言うに事欠いてそんなことを……」
「だいたいお前が俺を切ったんじゃねえか」
「は?」
「セックスフレンドはお前しか居なかったのに、お前が俺に飽きて捨てたんじゃねえか」
「……ちょっと待て。誰と誰がセックスフレンドだって?」
「俺とお前が」
本当に思いも寄らないことを聞いたというように、ミツギが目を見開いてポカンと口を開けた。そんな顔初めて見た。
「はああああ???」
ミツギが両手で頭を抱えてしまった。何なんだ、この反応は。
「もしかして、自分以外のセックスフレンドは気に入らないとかいうタイプ? でもお前が捨てたんだから、どうしようと勝手だろ?」
「……と思ってたんだが」
彼が呟いた。聞き取れなくて聞き返した。ミツギが苦しそうな顔をした。
「何? 聞こえない」
「俺は付き合ってると思ってたんだが」
「は?」
頭が真っ白になった。何を言っている?
「誰と誰が」
「俺とお前が」
心臓の音が頭の中で響いている。何を? 言っているんだ?
「はあ? な、なに、何言ってんの? 俺とお前が、付き合うわけ、そんな……」
そんなわけない。いつだってミツギは、彼は、アヅマにとって暗闇の中で光っているひとつの星だった。手を伸ばしても届かない。手を伸ばしても届かないから星なのだ。こんな俺を、狡くて汚くて、何の良いところもない俺を、ミツギが欲しがるわけがない、のに。
「つ……、付き、合ってる、と……、思ってた、の? 本当に?」
「ああ……」
吐き気がした。今までの自分がしてきた行為に。
「あ、あ、あ……。あはは、は、はは……」
俺は部屋を飛び出した。ミツギは追って来なかった。どこまでも走った。結局家には帰らず、知らない公園で夜を明かした。

 それからの俺は、情緒不安定が加速した。バイト中に涙が出たり、ふいに死にたくなったり。休日は食事もろくに摂らず、ただ布団に横たわっているだけになった。食事を摂ると吐いてしまう。だから食べない。睡眠も摂れない。悪夢で目が覚めてしまうから。いつも脳内で繰り返される、 ミツギの家での会話。ミツギの苦しそうな顔。もちろん彼から連絡が来ることはない。だってそうだろう、俺はミツギを裏切った。きっと軽蔑しただろう。何でこんなやつと付き合ってると思ってたのか、と後悔しているに違いない。 ミツギは俺に気持ちを向けてくれていたのに、俺はそんなミツギを信じられず、寂しいとかそんなくだらない理由で他の奴に抱かれた。何人も、数えきれないほど。あんなに居たセックスフレンドは全員切った。もうそんな気も起きない。アヅマはアパートを出て、ふらふらと街を彷徨い歩く。 あてもなく歩いていると、後ろから走って来た車が横に停まったので、不審に思って視線をやると、突然ドアが開き腕が何本も伸びて、アヅマに絡みつく。
「なっ……!」
食事を摂っていなかったので、ろくに抵抗もできず車に引きづり込まれ、目隠しと口にタオルを嚙まされた。
「暴れたら殺すからな」
知らない男の声が耳元でした。ヒヤリとしたものが首に当たった。
「何度も確認したから分かるけど、こいつ上玉だぜ」
俺が徘徊してる間に何度もこの車は俺の近くを通っていて、顔を確認していたらしい。
「楽しみだなあ」
何人いるのか知らないが、目的が何となく分かる。下卑た声。アヅマはこれから起きることから、意識を飛ばした。
 解放されて放置されたのは、俺の住んでいる街から数十キロメートル離れた公園だった。放置された俺を発見したのは、朝のジョギングをしていた近所の住人だった。すぐに警察に通報され、保護された。病院に連れて行かれて、俺を診た医師は痛ましそうな表情をしていた。 何日か入院して、その間に事情聴取を受けて、誰か迎えに来てくれる人は居るか、と聞かれたけれど、誰も居ないと答えた。ボコボコに殴られて、めちゃくちゃに犯されて、それでも何となく平気だった。だって--。
(バチが当たったんだ)
何人もセックスフレンドを抱えて、めちゃくちゃしていた俺に、何人かにまわされたくらいで傷つく心など今更ない。誰にも言えない罪を抱えた俺が、美しいものに焦がれたせいで。臆病な俺がミツギの、その心に触れることを恐れたせいで。確かめることを怠った俺に、ミツギに愛される資格などない。 もう彼に愛されることのない体に何の価値もなく、どうされたって構わなかった。彼のあの、苦しそうな顔を思い浮かべる方が心が苦しかった。今となっては俺のことなんか忘れて欲しいと思っている。彼は真っ当な人間だから、きっと幸せになれるだろう。俺なんか、彼という光に集った羽虫にすぎない。払えば忘れてしまうような。
 体をめちゃくちゃにされたので、流石に仕事は出来なくて、数日休んだ。俺は気にしなかったけれど、そんな包帯だらけで店頭に立たれても困る、と店長に有給を取らされた。警察から連絡がいっていたのか、事情は聞かれなかった。部屋で寝ていても暇だった。アプリゲームをしていても、つまらない。 顔も体もボコボコに殴られたので、痛い。痛み止めも病院で貰ったけれど、効いているのかいないのか、鈍く痛む。後ろの穴に無理矢理何本も突っ込まれたので、かなり切れた。排泄する時がつらくて、でも痛みがあると、生きてるなと感じる。最近なんだか、心と体が離れているような感覚があって、体が俺のものじゃないような。 あんなにつらくて嫌いだった体の痛みが、これは俺の体なのだと訴える。
(俺、生きてるんだ……)
ふいにスマホが鳴った。何だろうと思ったら、警察からで、話を聞くと犯人が捕まったとのことだった。以前から似たような事件があって、俺から検出されたDNAと前科のある性犯罪者のDNAが一致したとのことだった。仲間はまだ捕まっていないが、時間の問題らしい。
(ふうーん)
何の感慨もない。まあ、犯罪者が捕まるのはいいことだろう。持っていたスマホを伏せて、布団に身を任せた。
 何かの音がして、目が覚めた。久しぶりに悪夢を見なかった。
(いい気分で寝てたのに、何だよ)
ピンポーンとチャイムの音がする。
(無視しよ)
三度目のチャイムが鳴る。それも無視していると、連続してチャイムを鳴らされる。
(うるせえ! 近所迷惑だろ! まあ今は昼間だけど)
頭に来て、乱暴に開けると立っていたのはミツギだった。
「居るならさっさと……」
居るならさっさと開けろ、そう言いかけたのだろうミツギは言葉をなくしていた。不思議に思った。ふと思いつく。ああ、この顔か。ガーゼだらけの顔。
「入る?」
「……ああ」
ミツギが俺の部屋に来るなんて、いつ振りだろう。もう一年は経ちそうだ。
「……」
部屋に入ってからのミツギは難しい顔をして終始無言だった。インスタントコーヒーを出してやると、黙って飲んでいる。
「どしたん?」
なるべく口角を上げて聞く。
「……あの時、出て行っちまったお前を追いかける気力もなくて、何ヶ月か経ったけど、どうしても気になって来た」
「ふうん。よく俺が部屋に居るって分かったな」
「てめえのバイト先に行ったら、有給取ってるって聞いたから」
ストレートな彼らしくもなく、目を伏せたまま話している。何か迷いがあるような顔だ。
「どっか旅行にでも行ってたらどうしてたんだよ」
「そしたら諦めるつもりだった」
ミツギの目が俺を見た。俺のことを見てる、青い綺麗な星。いつだって真っ直ぐで、煌めいている。
「お前、その傷どうしたんだ」
「えっ、これ? 転んだの」
あまりに眩くて、直視できない。俺は視線を外した。適当な言い訳をする。ミツギが立ち上がって俺の横に来て、俺のティーシャツを捲りあげた。胴体にもガーゼや包帯が巻かれている。
「ただ転んだだけで体もこんなんなるわけねえだろ。歩き方も変だったし」
「……よく見てんのね」
「新聞でここの近所で男性が拉致されて強制性交されたって見て、てめえと歳が近かったしまさかと思って来たんだが」
重い沈黙が流れる。苦虫を噛み潰したような顔をしたミツギが重い口を開いた。
「お前じゃないって安心したくて、顔を見に来たんだが、……言いたくなかったら言わなくてもいいが……、お前なのか?」
「……ニュースになってたかあ。そりゃそうかあ。結構大事だもんな。うん、そうだよ、俺だよ」
アヅマは不思議なものを見た。何だかミツギが泣きそうな顔をしたのだ。泣きそうでつらそうで傷ついたような表情。ミツギはグイとアヅマを優しく引っ張り、その腕の中に抱き込んだ。
「どした? 何でお前がそんな顔すんだよ。別に何ともねえぞ」
「バカか! 何ともねえわけ、ねえだろ……!」
久しぶりに間近に嗅ぐ、白檀と彼自身の体臭が混ざった、いい匂い。この匂いがずっと恋しくて恋しくてたまらなかった。これ以上はいけない、とその腕の中から抜け出す。これ以上想いが首を擡げないうちに。
「本当に何でもないんだって。大した怪我じゃねえし、さっき犯人のうちの一人が捕まったって連絡来たし」
「複数犯なのか?」
「うん。何人居たか、目隠しされてたから分かんねえけど」
また抱き込まれた。ミツギの顔が俺の肩に埋まる。ミツギがボソボソと呟く。
「酷い話かもしれねえが、お前じゃなければいいって、他の誰かならいいのにって思ってた。……お前なわけねえって思おうとしても、安心出来なくて、顔が見たくなって」
また彼の匂いがする。この世界で一番好きな匂い。愛おしくてたまらなかった。優しい人。こんなに醜い俺を心から心配してくれる人。今までこんな人間に出会ったことはなかった。だから、これ以上はいけない。
「なら顔見たら安心したろ? もう帰れよ。体が見ての通りガタガタで客の相手は疲れんだ。……それから、……もう会いに来なくていいから」
「……何で」
「知ってるだろ? 俺は酷い奴だって。それに今回のことだって、夜フラフラしてたんだから、これは俺の自業自得なの。それに何人もセフレが居たんだし、今更何人にマワサレようと傷つかねえよ。だから」
ミツギの腕が強く締まる。
(痛え)
彼が顔を上げて俺の顔を真っ直ぐ見た。目には怒りにも似た激情が浮かんでいた。
「このクソガキ! 自業自得なわけねえだろ! 犯人が一〇〇パーセント悪いに決まってる!」
俺の言葉を遮って、ミツギが怒鳴った。ミツギは気が短いけれど基本的にクールで、意外と感情に任せて怒鳴ることはない。だから俺がびっくりしていると、冷静になったのか、釣り上げていた眉を下げた。
「怒鳴っちまって悪い。だけど、絶対お前は悪くない。悪いのは犯人だからな」
(困るなあ。何でこんなに心配してくれんの。俺が悪くないって言ってくれんの)
殊更冷静に俺は言葉を紡ぐ。
「心配してくれるのは嬉しいよ。素直に嬉しいって感じる。でも多忙なお前にこれ以上迷惑かけたくないんだ」
「忙しいのはお前を心配しない理由にはならない」
アヅマは眉を下げた。
「さっきも言ったろ? 俺は酷い奴だって。お前に心配してもらえる資格なんかねえんだよ」
「……」
「今は俺が事件の被害者だって知って、冷静に考えられなくなってるだけで、しばらくしたら俺がお前にとっての加害者だって思い出すんだ。俺は裏切り者だ。お前だって言ってたじゃねえか。犯人が悪いって。だから加害者である俺が一〇〇パーセント悪いんだ。お前が心配したり、俺のために傷つく必要なんてないんだ」
ミツギは俺の首筋に顔を伏せた。俺を抱き締める腕が僅かに震えている。
「好きだからじゃダメなのか」
「え……?」
「俺がてめえを好きだから、心配もするし、てめえが犯罪に遭えば傷つく。それじゃダメなのか」
ミツギの言葉が信じられず、体を強張らせる。何を言っているんだ。
「お前……、バカなの? 俺をこの期に及んで好きとか……」

てめえに会わねえ間に考えた。何でてめえがあんなことをしてたのか。俺がお前を不安にさせてたんじゃねえかって。ろくに連絡もしないで、たまにしか会えなくて、会うだけ会ってセックスしかしなくて。俺はもう俺の気持ちはお前に伝わってると思ってた。だから何も言わなくてもいいって思ってた。でも、そうじゃなかった」
「……」
「確かにお前のやってたことはショックだったし、他の男に抱かせるなんて、腹が立った。でもそれはお前が好きだからなんだよ」
ミツギの言っていることをそのまま受け入れてしまいたくなる。ミツギは優しいから勘違いしてるだけ。体を繋げることで移ってしまった情を、愛情と勘違いしてる。それはミツギにとってよくない。この口が、お前が愛しい愛しいと言ってしまわないうちに、訂正しておかなければ。
「お、れは……、お前のことが信じられなくて、俺の勝手な気持ちで、お前を裏切って、お前を傷つけたんだぞ。それに、セックスして生まれた情を愛情と間違えてるだけだよ」
「ずっと聞きたかったんだが、てめえは俺のことをどう思ってんだ。好きなのか嫌いなのか。どっちだ」
「……言いたくない」
「言わねえなら、勝手に解釈するぞ。好きってことだな」
「そっ……!」
目が合ったミツギは優しい顔をしていた。何でそんな顔するの。
「俺が付き合ってるって思ってたのは、お前がいつも俺に会うと本当に嬉しそうに笑って、目が好きだって訴えてたからだ」
「マジで……?」
好きだって隠しきれてなかったのか。恥ずかしい。想いが筒抜けだったなんて。
「ああ。だから両思いだって確信があったから、敢えて言わなかったんだが……。言わなきゃ分からねえクソガキだとはな」
「分かるわけねえじゃん。忙しいの知ってるから連絡するのは迷惑かもって思って出来ねえし、メッセージ来るのは数ヶ月に一回だし、たまに会っても、いつも俺の家で飯食って、酒呑んで、セックスするだけだし。朝起きたらいつも居なくて。そんなの恋人にすることじゃねえよ」
「悪かった」
「だからミツギはたまたま相性の良かった俺の体が目当てで、たまに性欲処理しに来るだけで、俺のことなんか眼中にないんだって、思って……」
目頭が熱くなる。泣きたくもないのに、涙が零れ落ちる。
「俺にとって、お前はいつも綺麗で真っ直ぐで、キラキラ光る星だったから、俺みたいなのが好きになっちゃいけない相手だって分かってたのに、馬鹿みたいに好きになって、抱かれるたびにどんどん好きになって、お前にも俺のこと好きになって欲しいって思って」
「俺が星とか、意外と詩人だな、お前」
ミツギの綺麗な指が俺の涙を拭う。その優しい仕草にまた涙が溢れる。
「俺がミツギと釣り合うわけないのに、体を求められてるうちは俺にも価値がある、幸せだって思うようにしてたのに、あの日俺のこと抱いてくれなかった」
「あの日?」
「いつもみたいに家に来たのに、抱いてくれなかった」
思い出すように斜め上を見たミツギは、ああ、と言った。
「お前が何だか元気なかったから」
「それから何ヶ月も連絡がなかったから、俺捨てられたんだって思った」
「あの頃はくそ忙しかったんだよ、悪かったな」
ボロボロ泣く俺を慰めるように、ミツギは俺を抱き寄せて、頭を撫でた。
「ごめん、俺がちゃんと俺のこと好き? って言えてればこんなことにならなかったのに。ごめん」
「まあ、俺も好意を素直に言えるタイプじゃねえからな、おあいこだ。……ところで、気になってたんだが」
俺がミツギのジャケットをべしょべしょに濡らしていたら、窺うようにミツギが質問した。
「セックスフレンドはいつ頃から居たんだ」
「……怒らないでくれよ?」
「多分な」
「…………、割と初期の頃から……」
頭を撫でていた手が止まった。その手がアヅマの顔を掴む。上向けられ、目と目が合わせられる。彼の目が燃えている。
「へえ……」
「怒らないって言ったじゃん」
「てめえ、怪我が治ったら覚悟しとけよ」
唇が傷に障らないように重なる。島から出て初めてしたキスは、気持ちが良くて、うっとりとして、もう一度と強請った。

 勝手知ったるといわんばかりに、慣れた手つきで貰った鍵でドアを開け、入る。
「一昨日片付けたばっかなのに、もう散らかってやがる」
初めて入った時、荒れに荒れていたミツギの部屋は、アヅマが通うようになって、だいぶ落ち着いた。持っていたエコバッグを置き、落ちている洋服を拾って、洗濯物かごにぶち込み、カップ麺の空や中身のないゼリー飲料をゴミ箱に放り、重ねてある雑誌を棚に戻す。
「っと、冷蔵庫に入れないとな」
肉や野菜を冷蔵庫に入れ、ミツギに送ったメッセージの返信が来ていないか、確認する。
『二十二時くらいに帰る』
(じゃあ夕飯作りはもう少し後だな)
荒れているだろう寝室を片付けに向かった。
 ガチャと音がして、顔を上げるとミツギが入ってくる。
「ただいま」
「お帰り」
アヅマはミツギがコート、ジャケット、シャツをスルスル床に脱ぎ捨てていく前に受け取り、ハンガーにかける。寝室に向かう背を見送りながら、作ったご飯をレンジに入れて、温め直す。戻ってきた彼がテーブルの前に座ったので、レンジから取り出したものをテーブルに並べる。
「頂きます」
俺にとって、ミツギが俺の作った飯を食べているのを見るのは至福のひと時だった。
「病院行ったのか」
「うん。昨日診てもらって、完治だってさ」
昨日は半日休を取って、病院で裂けた尻穴を診てもらってきたのだ。体の殴られた傷なんかはすぐ治ったけれど、この裂けた傷だけはなかなか治らなくて、膿んだり開いてしまったりして、大変だったけれど、ようやく治りはじめて、昨日ようやくだった。メッセージで病院に行って治ったとは伝えていたけれど、口頭でも確認したかったらしいミツギは、納得したように、ご飯に集中し始めた。
(美味しいのかな)
いつもよりペースが早い。気に入ったのかもしれない。また作ろうと頭にメモした。
 一緒に風呂に入って、いざベッドへ向かうと、ミツギが何だか緊張した顔をしている。いつも偉そうで自信家のような彼でも緊張することがあるのか。
「どしたん?」
「本当に大丈夫なのか」
彼が緊張するのも無理はない。怪我が完治したと言われたのは昨日で、怪我を負ってから数ヶ月、性的接触という接触を極力避けてきた。もちろん、キスしたり、我慢出来なくて抜き合いしたりとかはあったけれど。しかもそれ以前に再会したのはその怪我をした数ヶ月前のことで、セックス自体が約一年振りなのである。ベッドに腰掛け、アヅマは甘えるように彼の首に腕を巻き付ける。彼の流している前髪から覗く額に唇を押し付けた。
「俺が我慢出来ない」
「……っ!」
煽られたミツギが俺を押し倒す。息の荒い唇が俺の唇に重なる。ちゅ、ちゅ、とバードキスを繰り返していると、舌で唇をノックされて、薄っすら開けると舌が潜り込んでくる。彼の舌が上顎や歯列を舐めまわす。舌と舌が絡んで、ぐちゅぐちゅと唾液が下品な音を立てる。
(ミツギ、興奮してる)
嬉しくて、彼の舌先をちゅうと吸うと、お返しとばかりに、じゅるじゅると音を立てて吸われる。それだけで気持ち良くて、うっとりしてしまう。
「もっとキスして」
吐息の狭間に囁く。舌を扱くように吸われると、それだけで達してしまいそうだけれど、我慢する。上唇や下唇を食んだりして、キスを楽しむ。彼の唇が唇から首筋に向かうと、くすぐったくて、でも気持ち良くて、高い声が漏れてしまう。
「ひゃあっ!」
「エロい声出してんじゃねえ、エロガキ」
「お前が悪いんじゃんか」
何度も唇を落としたり、舐められたりするとたまらない。
(あ〜、早く入れられてえ)
でも前戯は気持ち良いので、その時まで我慢する。ミツギの手がティーシャツを捲り上げる。
「あ?」
ミツギが不機嫌そうな声を出した。
「何?」
「てめえ、何か乳首デカくなってねえか」
「え〜? そう?」
「なってる。俺が前見た時よりデカくなってる。おい、何人に吸わせたんだ、ここ」
ミツギは苛立たしそうに乳首を抓る。反対側も捏ねる指が止まらない。
「あっ、ちょっ、あっ、やあっ、んっ」
「しかも感度も良くなってやがる。このクソガキ」
ちゅうと吸いつかれて、腰のあたりが疼いて仕方ない。吸いついたり、ぺろぺろと舌先で舐められたりすると、気持ち良くてたまらない。眉間に皺を寄せたまま、乳首を苛むミツギが何だか愛おしくて、彼の頭を掻き抱いた。
「んっ、あっ、そこ、もういいからぁっ」
「よくねえ。ここだけでイかせてやる」
「えっ!」
硬いエナメル質が乳首を挟んだ。甘噛みされて揺さぶられて、反対側は抓ったり押し潰したりして。腰の重みがどんどん増していく。
(どうしよう、本当にイキそう)
ぢゅうっと強く吸われて、極まった。
「あ、あ、ああああっ!」
重たくなったパンツの中身を見て、ミツギは不機嫌そうにふんと鼻を鳴らした。唇は乳首から離れ、胴体へと向かっていく。くちゅ、くちゅ、と舐めながら、彼の五本の指が優しく肌を撫で回す。それが焦ったくて、気持ち良くて、もっと刺激が欲しいような、そのままでいて欲しいような、そんな気がして、アヅマは体をくねらせる。
「んっ……、あ……」
「腰動いてんぞ」
指摘されたけれど、腰が思わず揺れてしまうのは止められなくて、恥ずかしい。
「ミツギ……、手貸して」
「何すんだよ」
「ん……、舐めんの。俺、ミツギの手、好き……」
指の先、指の股、手のひら、手首まで丁寧にしゃぶっていく。
「ん……ふぅ、んっ、はあ……、んぅ、ふ、あ……」
「美味いか?」
「うん、美味しい」
アヅマは恍惚とした表情で呟くと、ミヅキは喉を鳴らした。ミツギの目元がうっすらと朱に染まっている。
「なに……、ミツギ、手気持ち良いの?」
それには答えず、ミツギの二本の指がアヅマの唇に差し込まれ、くちゃくちゃと口腔を掻き回す。上顎を猫を撫でるように、えづくかえづかないかの境目まで、指の腹で撫でる。次に二本の指で舌を挟み、根本から先端まで扱く。
「あ……、あっ、あっ、んっ、俺が、してたのに……」
指を引き抜くとミツギはアヅマに差し入れていた指についた唾液を舐めとった。その光景に俺の頬は熱くなった。何ていやらしい光景なんだろう。あんなに唾液を交換しても、こんなちょっとしたことにドキドキするなんて。ミツギは俺のハーフパンツを下着ごとずり落とした。
「びしょびしょだな」
一回出して萎えるはずのものも、ミツギの手腕によって元通り熱を孕んでいる。彼は上半身を折り曲げ、俺の熱いそれを口に含んだ。温かくてぬるぬるしていて、気持ち良い。舌先で先端を刺激されると、俺のものから分泌液が溢れ出す。雁首を唇で咥えて、口に出し入れされると達してしまいそう。
「ああっ、あっ、んっ、だ、め……、イク」
「出しちまえよ。イかせてやる」
分泌液と精液と唾液でびしょ濡れの幹を強く擦られると、射精感が高まる。
「だめ、だめ、あ、あ、くぅ、ん」
放出の高揚感でぼうっとするアヅマを尻目に、アヅマの足を開かせ立たせた。ミツギは確かめるように、後ろの穴に指を這わせた。裂けた部分を縫った跡が生々しく残っており、ミツギは難しい顔をした。高揚感から戻ってきたアヅマがミツギの顔を見て笑った。
「結構グロい?」
「いや、別にそこまでじゃねえけど。本当に大丈夫なのか」
「治ったんだから平気だ。それに自分だって平気じゃないくせに」
腰に当初から当たっている熱いそれが欲しい。俺を欲しがって、欲情している証。ミツギは観念したのか、ベッドサイドから取り出したローションを手のひらに出して温めると、俺の穴に指を差し入れる。
「あー……、う、ん……」
「痛えのか」
「違う。お前の指の感覚が嬉しかっただけ」
「あっそ」
指が押し拡げるように、慎重に粘膜を擦る。指が二本にに増えて、少し動きが大胆になって、ある一点を押し上げた瞬間、アヅマからの口から嬌声が漏らされた。
「ああああっ!」
「ここか?」
執拗に擦られ、口から出るのは意味のない嬌声だけ。
「あっ、あんっ、そこばっかり、やだ、だめ、そんなに、しないでっ、あっ、あっ」
良すぎるのがつらくて、顔を腕で覆うと無理矢理腕を剥がされる。
「感じてるところ、もっと見せろ」
「やだあっ、恥ずかしいっ、んっ、んっ、あっ、くる、くるくる、くる……!」
全身を痙攣させて、体が高まった。中がギュウウとミツギの指を食い締めた。脱力感に包まれて、ぼうっとしていると、ミツギの手のひらがアヅマの頬に触れた。現実感が戻ってくる
「お前、中イキしたのか」
「……へ? 分かんない……」
「お前、射精してねえぞ」
見ると確かに俺のものは硬度を保ったままで、今中身を出した形跡はなかった。初めての感覚だったが、これが中イキか。確かに粘膜を擦られると気持ち良いけれど、こんなに体が高まったことはない。ミツギを見ると、星の目をギラギラとさせていた。
「誰だよ、てめえに中イキなんて覚えさせたやつ。ふざけんな。俺がお前を抱けない間に、そんなこと仕込みやがって、クソが」
ミツギが悪態をつく。勘違いだ。俺が中イキしたのなんて、今が初めてなのに。
「もしかして、ヤキモチ妬いてるのか?」
「うるせえ」
彼の表情が、目が如実なほどに示していた。狂おしいほどの嫉妬の炎に身を焦がし、目を爛々とさせていた。俺はだるい体を起こし、ミツギの頭を抱き寄せた。
「今が初めての中イキだよ。お前が初めてだよ」
「本当か?」
「うん」
少しだけ嫉妬を薄めた表情のミツギが顔を傾けた。俺もそれに倣った。重ねるだけのキス。俺は先を強請った。
「入れて」
 コンドームを自分のそれに被せたミツギは慎重に腰を進める。
「ん……」
「痛くねえか?」
「だいじょぶ……、もっと入れていいよ」
「はーっ、はーっ、はっ……」
ミツギは侵入するだけでつらいのか荒い呼吸を繰り返している。根本まで入った時、達成感で満たされた。
「もう動いていいのに」
「バカか。馴染むまでダメだ」
穴がものに慣れるまでは動かないつもりらしい。せっかくミツギが入ってくれて気持ちよくて、穴の粘膜が疼いて仕方ない。早くミツギのそれで擦り上げて欲しくて、腰を揺する。
「はやく、……ミツギにして欲しい。少し乱暴なくらいでも大丈夫だから」
「ちょっとは自分を大切にしろ。まったく我慢の出来ねえクソガキだな」
ミツギが上半身を倒し、顔と顔が正面になる。自然と唇が重なる。舌を絡めて、唾液を交換する。ミツギからもらったそれを飲み下していたら、自然と彼の腰が動き始めた。上から下からミツギと繋がれるのが最高によくて、胸がいっぱいになった。
「ちゅ、んむ、はあっ、ちゅ、くちゅ、はあ、はあ……、ミツギ、気持ちいい。ミツギも気持ちいい?」
穴に埋め込まれている熱を感じれば、そんなことは百も承知だが、本人の口から聞きたい。
「……はっ、ん、俺も気持ちいい」
俺はミツギにしがみつく力を強めた。腰の動きが早まっていく。ミツギの熱は体の奥の奥を目指していて、腹がぐぽっぐぽっと音を立てていた。そして、それが奥にハマった。
「あっ、あっ、あっ、きもち、いいっ! そこ、奥、もっと、気持ちいいよお! あああっ、すごいっ! あっ、あんっ、あああっ」
「このエロガキが! 中の感度も上がってんじゃねえか! クソ! クソ!」
嫉妬と興奮に顔を歪めたミツギが腰を打ちつけてくる。粘膜を擦り上げられ、前立腺を苛まれ、奥にぐりぐりと熱を押し付けられるたびに、頭がスパークする。
「あっあっ、すごい、ミツギ、あっ、あんっ、ああんっ、気持ちいいっ! もっと擦って、あ、奥もっ」
「っ、ふっ、欲張りだな」
「ミツギの気持ちいいっ、あっあっ、好き、好き、ミツギ、好き。あんっ、あっ、キスして」
ミツギの熱い口が俺の唇を食べる。ぐちゅぐちゅと上も下もいやらしい音を立てている。俺はふと汗と白檀の香りをいつもより濃く感じた。体温が上がって濃くなっているのかもしれない。安心する、大好きな匂い。気づくとまた達してしまった。
「ああっ、やっ、んっ、あっ、あっ、……俺のこと、好き?」
「ああ、好きだ」
「〜〜っ! ああああっ!」
俺の中が痙攣してミツギを食い締めた。
「うっ、はあ……」
ミツギも達したのか、俺の上で脱力した。ミツギの早い鼓動が耳に直接聞こえるような、そんな錯覚を起こした。ゆったり互いの体温を感じながら、重なり合っていると、ふいにミツギが口を開いた。
「お前、また中イキしただろ」
「えっ」
見ると確かに俺のものは射精していない。ミツギは意地の悪い顔をして、アヅマのそれに触れた。
「ちょっと、待って、イッたばっかりだから、やめろって」
「最高にイイかもしれねえだろ」
先端の穴にぐりぐりと指を捩じ込み、もう片方の手は幹をリズムよく擦り上げている。敏感な雁をローションをまとわりつかせた指で刺激されれば、俺の吐息は絶え絶えになった。
「あっ、だめ、はあっ、何か出ちゃうっ、ちょっ、漏れ、漏れるっ」
精液の代わりに先端から放出されたのは透明なサラサラとした液体だった。
「潮吹いたな」
嬉しそうなミツギの言葉を最後に、俺の意識は途絶えた。

 今日は一日休みなので、朝からミツギの部屋に向かう。散らかった部屋を見て溜息を吐く。
「本当毎度毎度どうやったらこんなに汚せるんだ……」
たまった皿を洗い、ゴミを捨て、ものを元の場所に戻す。
洗濯物を洗って干した。風にゆらめくシーツが眩しい。あらかたの家事を終えたら、今度は飯作り。レシピを検索して、必要な物をメモする。マンションを出て、近所のスーパーに向かう。
 マンションに戻ると、料理を始める。慣れた手つきで野菜を切り、肉を切り、炒めたり、煮たりする。俺は野菜は食べないけれど、ミツギが食べるので野菜を使う。俺は肉だけ、ミツギは野菜多め。いつものお決まりだった。常備菜を作り終わって、タッパーに詰めて、冷蔵庫にしまう。今度はメインを作る。麻婆豆腐だった。
(食ってくれっかな)
食べてもらえるのが楽しみで俺は笑みを浮かべた。

 帰ると、クソガキはソファで寝転がって、そのまま眠ってしまっていた。俺はアヅマの顔を眺めて、起こさないように、そっと指先で触れた。顔の色艶も以前のものに戻っている。こけていた頬も少しふっくらしてきた。あの日、再会した時のアヅマの顔は酷かった。顔はガーゼにまみれて、それでも分かるほどの顔色の悪さとこけた頬。体を見た時は包帯とガーゼ、浮いた肋骨。筋肉も落ちていて、見た時、食事してねえなこいつ、と確信した。事件に巻き込まれていたと聞いた時は、被害者であるアヅマより、ショックを受けてしまった。強姦なんて、人間の尊厳を踏み躙る行為を許していいはずがないのに、アヅマは平気だと言った。そんなこと信じられなかったけれど、こいつは本当にそう思っていた。アヅマは一見頭が悪くて、チャランポランなように振る舞っているけれど、本当は傷つきやすくて、誰よりも自分が自身のことを信じられなくて、自己肯定感が低い。あの時も、俺とこいつが釣り合うわけがないと言っていた。そんなこと関係ねえのに。お互いが想いあっていれば、それでいい。こいつが他の男と寝てると知った時、頭がおかしくなりそうなほど嫉妬した。俺だけのものじゃないなんて、許せなかった。心が通じ合ってると思ってたから、何でそんなことをするのか、理解出来なかった。つらくて、苦しくて、恨み言で頭がいっぱいになったけれど、どうしてもこいつを愛しいと想う気持ちが捨てられなかった。結局は想い合ってることが分かった時はほっとした。孤独で寂しがりなアヅマ。時々、こいつは確かめるように、そしてどこか不安そうに、「俺のこと好き?」と聞いてくる。そのたびに俺は「好きだ」と答える。このバカには言葉にしないと伝わらないと分かったから。答えてやると、本当に嬉しそうに幸せに微笑む。その瞳はいつも俺を好きだと訴えている。
「ん……、うう? あれ、ミツギ、帰ってたの? お帰り。いつの間にか寝ちゃってたのか」
「寝るならベッドで寝ろ」
「ミツギの帰り、待ちたかったし」
アヅマは起き上がって、冷蔵庫へ向かおうとした。それを引き留めて、風呂場へ連行する。
「風呂入るぞ」
「飯は?」
「後で食う」
振り向いて見たアヅマは笑っていた。
「あっ、スーツ! 風呂場に行く前に脱いで!」
こいつに言われた通り、素直に脱ぐと、世話焼きの妻のように、ハンガーにジャケットをかける。案外アヅマは世話焼きだったようで、数日に一度俺の部屋に来ては家事をして、帰ることもあればそのまま泊まっていくこともある。思わぬ穏やかな幸せだった。無性にアヅマの笑んでいる唇にキスしたくなって、キスした

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